焼き鳥はカウンターで

のオフィスは浜町にある。ここは人形町とも隣接しており界隈には古い食べ物屋がたくさんある。いつかは近辺の洋食屋やすし屋の話題も提供したいのであるが、本日は焼き鳥屋のことについて是非お聞きいただきたい。

の街の焼き鳥屋は先代から引継ぎ、もう40年目とか60年やってるなんていう店ばかり。したがって、ガスなんて使うわけないし、備長炭の昔ながらの技法で実においしい焼き鳥が提供される。焼き鳥はカウンターに限る。今焼きあがったものをさっと皿に載せてくれる。それをハフハフいって食べる。ぼやっとしていると、冷めてしまって違う食べ物になってしまう。
 焼き鳥というのは、昔からあるものらしい。幼少の頃は、父親に連れられて場末の焼き鳥屋によく行った。「シロ」「ハツ」「かわ」のような子供にすればちっともおいしくないはずの素材でも、意地汚いから無理して食べてみた記憶がある。あの強がりの性格は今にも生きていると思っている。

んなとき父親が教えてくれたことがひとつある。「ここの焼き鳥屋は、食べ終えた串の数で勘定するんだよ。」なるほど、カウンターの隣の客が帰るときには、皿に残った串をパッパと店主が数えている。常連になると数えやすいように10本ずつ束ねていたりもする。今でいえば、回転ずし屋の皿の数を数えるみたいなものだ。

「レバー食べるか?」という父親の声に「うん」とうなずく私。ここで一大決心をした。食べ終えた串を、店主に見えないように足元に落とすのだ。こうすれば、この店の制度からすれば”ただ食い”である。父親は金持ちではなかったけれど、困っていたわけでもない。しかし、勘定が安くすむのならきっといいことに違いないという勝手な判断がそうさせた。もう、レバーの味なんかわからない。汗が額ににじむ。店主が下を向いた瞬間がチャンスだ。勢いよく落とすと音がするので自分の運動靴にワンバウンドさせる高等技術も短時間のうちに習得した。次は、”手羽先”だ。これは、当時も今も大好物なのであるが、やはり味がわからない。店主と目が合うと心臓がバクバクする。今や串を捨てる瞬間だけが大切な一瞬なのだ。ああ、頼むからもう追加しないでほしい。今日はもう食べたくない。おいしいものを食べにきたはずなのに、苦手な数学の宿題をみんなの前で発表させられるときみたいに、私は疲れきっている。

して、そのときがきた。父親が店主に声をかける「ごちそうさま。勘定して。」店主が皿の串を数える。そのときの私の顔は死人のようだったに違いない。店主の一言が決定的に私を打ちのめす。「皿の串が合計25本、ぼっちゃんが落とした串が4本で、合計29本です。」
 ひゃー・・・店主は知ってたんだ。父親には「なんで落としたりするんだ。」とこつんと殴られた。でも、父親が大事にしていたつり竿を踏んで折ってしまったときよりも、殴り方はやさしかったような気がする。